世にも起業な物語~中の人の生い立ち編~

中の人のりさちゃんです。

弊社も立ち上げからもう間もなく2年になりそうです!

思い立ったが吉日!!!  ここに至る色々を残したいと思いました。

「そうだ起業、しよう。」 京都に行くのとわけが違う道のりに至った理由を自己紹介と共に残します。

1988年11月4日に北海道の雪国で生まれました。(←えぇっ、そこから?と思った方、大丈夫です!ワープします。)

私が生まれたとき、すでに男女雇用機会均等法は制定されていました。(1985年に!)

小学生のとき、社会の教科書にもすでに載っていました。勉強しました!

そこから早22年後…新卒で航空会社に入社しました!

入社当初、昭和のサラリーマンのように仕事が大好きでした。キャリアを積みたい!と思っていました。

しかし、例に漏れずキャリアの壁が立ちはだかります。

長男の出産です。(長男出産のおかげでもう一人の中の人、じゅりちゃんに出会うことができました(*^-^*))

おこがましい私はキャリアも家族も全て諦めたくないと、出産予定日の18日前まで働き、産後5か月でフルタイムで会社に復帰しました。

復帰の年、私のずっと目標にしていた職種変換試験を受ける資格を得られることがわかっていたため、復帰の選択肢しかありませんでした。

身を粉にして全力で働きました。そりゃあもう全身粉々です。

まだ1歳の長男が喘息で入院しても、仕事を休めないと面会を諦め自分を追い込み、帰りの電車で泣いてました。自己嫌悪。本当に酷い母親です。

そしてこの年、女性活躍推進法が成立しました。おこがましい私はここでも追い風が吹いてると錯覚しました。

いよいよ年度末…目標にしていた職種変換試験は見事に玉砕しました!

もちろん試験の面接で「転勤できるの?他県に異動の辞令出たら子供どうするの?」と聞かれました。

落ちた後、試験課題等の添削をしてくれた上司にもちろん理由を聞きました。

理由は言えない、答えられない…つまり上司もフォローアップできない。。。(公表できない裏事情がありました。)

この時、26歳にしてやっと男女の雇用機会は均等じゃないし、女性の活躍推進を法整備するくらい、まだ社会の壁が高いとやっと気付きました。

時を戻そう!生まれたときには男女雇用機会均等法は施行されていた…戻す時もないくらい日本のジェンダーギャップは生まれてから26年埋まっていないのでは。。。

燃え尽き症候群に近い症状に陥りながら、家族を犠牲にして得たものの価値を見出せず、試験結果の3か月後に転職しました。

転職先でも時がとまる現象が起きました!

第二子次男の出産後に復帰したあとのことです。(第二子次男の出産ももう一人の中の人、じゅりちゃんの第二子とまったく同じ時期です!)

職場に4人の子どもを育てる先輩ママ社員がいました。もちろん、尊敬していました!

主任と私が人事考課面談をしているときに、将来のキャリアモデルの話になり、主任がその先輩ママ社員のことを一言、

「入社して10年目だけど、実質2~3年くらいしか働いてないから困る。」と言いました。

この時、すでに30歳…時を進めよう!社会の流れと自分の感覚がずれていると感じました。

心のどこかに眠っていた起業の種が芽生え始めました。「そうだ起業、しよう。」

こうして過去を振り返るとあの時の自分はなんとおこがましいことかと気付くのです。

社会・時代・環境のせいにして、本当に自分に非はなかったのか?

今も全てをコロナのせいにしようとしていないだろうか。。。

文字に起こすって頭が整理されていいですね!!!

会社設立の流れについても今後記したいと思いますー。

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